未来への畏怖

未来への畏怖がある

省く人類の行く末に

古来の人智の忘却に

末枯れる未知への関心に

明滅する信号さながらに、我らは既に堕ちている

暫しの暇を

なぜなら我らは知っている

緑林の褥から頭をもたげ、仰ぎ見る蒼穹の壮観を

苔むす険阻な道の果て、山頂より展がる数多な真実を

暫しの暇を

黙せる伶人がため

自由という刑罰

人は時として束縛による安閑を求める。「人間は自由の刑に処せられている」はフランスの哲学者サルトルの言葉。この金言は良いものとして考えられやすい自由という言葉を皮肉って、自由というものの両面性に気づかせてくれる。私も自由という概念が好きだが、自由すぎるのもつらいという実感が経験則としてある。裁量の広さと、際限の幻惑が人間の懶惰な途轍を掻き立てる。何が言いたいかというと日課って大切よねってこと。

BLEACHの詩が好きなのです

そう、我々に運命などない

無知と恐怖にのまれ

足を踏み外したものたちだけが

運命と呼ばれる濁流の中へと

堕ちてゆくのだ

 

               BLEACH 6巻 巻頭ポエムより

私の愛しき人生

映画には喜劇と悲劇がある。通底するものは悲劇性だ。それがあって初めて物語となる。人生も同じだ。ただそれを愉悦ととるか、懊悩ととるかで生き方は違える。私は後者をとる。悲哀にこそロマンがある。私の人生を映画のような物語にするために私は甘んじてこの憂悶の泉に融けあおう。恐れるべきは、そのどちらも選ばないこと、向き合わないこと、なかったことのように忘れ去ってしまうこと。自分の物語を身を賭してでも創りあげようとしない人間こそ一等、死に近い。

受容

受容。すべからく、人には違いがある。優劣ではない相対的な差だ。同質か異質か。そこにできる人間の齟齬に人は易々と敵を見出そうとする。異端をみつければ、忽ち、迫害に勤しむ暴徒と化す。ネガキャン、特定の人を誹謗中傷し、貶め、蔑み、相対的に自分の立場をあげる行為。極めて不快だ。その根性はいけ好かない。ただ、相手にしてはならない。確固たる闘争心をもったまま、屈することなく、私は受容する。