リアリティ・バイツ

日本で社会通念上の大人になって、仕事以外はそれなりに独力で生きていて思うのが、人って自由なんだなってこと。倫理をおもんばかる前提であれば、どこに行こうが、何をしようが自由。忙しない人生か怠惰な人生かも選べる。見栄を断念し、プライドを捨てれば尚更。だからある程度無秩序に毛ほども意味あるものと思えないような情報が氾濫する。目を瞑れど耳を塞げど翻弄されてしまう。そんな時思う、自分は何のために生きてるのか。人生に意味などあるのか。自由すぎて空っぽだ、人生なんて、自分なんて。昔は肋骨のなかで羽ばたいていた鳥のさえずりも今じゃ世のノイズにかき消されて聞こえやしない。こんなにも人生は自由なのに何で肉を突き破って飛び立ってくれない。ノイズが届かないほどに高く翔べれば、愛や真実をついばめるのに。もしかしてもう鳴いていないのか?

自分について断捨離好きでしょと言われたことがある。それがどうかはわからないけど、好きなものが明確であることは確かで、関心の対象が限られていて、価値基準が動くこともない。だからそう思われたんだとおもう。我ながらそこは誇らしく思う。