自由という支配

仕事などで日々に追われると、惰性に生きることに苦痛を覚え、そこから逃れたいと、解放されたいと思うもの。単調な毎日の連続が人に与える虚無性から逃れたいと、自由を希求する。ただサルトルはこう書いている「人間は自由の刑に処せられている」と。自由を刑と地続きにして表現しているのだ。哲学的な解釈は毛頭できない私でもこの一節の感覚を知っている。自由もかなりつらい、やれることが多すぎて、やれる時間がありすぎて、何から手を付ければいいのかが分からなくなるのだ。その結果、刹那的で即物的な欲求にかまけて一日が終わる、なんの充実感も抱けぬままに。自由すぎることは時として人を廃れさせるものだと感じる。即ち、人は時として束縛される時間、関心を向ける対象を求める。信念だとか夢なんかを抱くこと、心の赴く衝動に向き合って、人生を穿つ。自由と束縛の二律背反の中庸をバランスよくとることが大切だ。支配された人生は御免だ、自由すぎて制御できなくなることもまた然り。必死に生きるか、必死に死ぬか。この素敵な映画の名言を胸に馳せ、自由に支配させぬほどの確固たる標を自身の心に芽吹かせよう。